1997年810


揺れる船で食べるビビンバの味は?


釜関フェリー


 「しものせき〜しものせきです」

高架の駅を降りたって、空気を吸う。海のにおいがする。

やや曇り気味の下関の空。ひとり鈍行から降りてフェリーターミナルへと向かう。
下関駅は結構大きい、駅員さんに道を聞くが結構フェリーターミナルまでは近いみたいである。大型店舗のスーパーを横目にずんずん歩く。見えて き
た建物。「下関フェリーターミナル」であった。
 

いざ出航!…フェリーのチケットは持っていたが、出国審査カードは持っていなかったのでチケットを呈示した後、早速その作成へと走る。出航
までの時間が迫っていた。

 2階の乗り場のカウンターに(よく郵便局であるペンが置いてる奴)無造作に出入国カードが置かれている。と言うかぶちまけられていた

 僕も人に混じって書こうとするが渡航目的の所に「親族訪問」ともう判が押されているではないか!

あれれ??これちゃうぞ??親族おらへんし・・・
 
 と思いつつしばらく止まっていると一人の男の人が「あんた、籍は日本か?だったら向こうのだ よ」と親切にも教えていた
だいた。フェリーを日常化している乗り物としてその男の人は利用しているのだろうか?そのとき関釜フェリーは、今でも日本と韓国の一つの動脈 なん
だなぁと感じた。
 

…出国手続きが終わり、早速船に乗り込む。お盆前で空は、格安航空券と普通の航空券との 差がほとんどなくなってきたために
このフェリーも超満員である。だって学割が利いて往復13500円やもんなぁ。
 
 学割効かなくても片道8000円は高くないと思う。日韓庶民の交流を担ってきた船でありま す。

 甲板にすぐ出られる階の雑魚寝部屋が無くなったため、下の部屋(船底部)に通された。船に乗ると、親分肌のアジュンマ(おばさま)がおら れ
「あんたはこっち!あんたはこっち!」と居場所をわりふってくださる。
私の隣は40前のアメリカ人のバックパッカーであった。

荒「どちらまで?
男「同じ船やから分かるやろ?
荒「いやいや…韓国はどの辺りを旅されるのですか??
男「とりあえず一周かな?日本は疲れたから…モノは高いし…

それはそうですね…などと相槌を打っていたが、非常に大きい荷物である。本当に韓国を一周する覚悟なんだろうか??凄いオッサンである
 
 

出航…フロントページに書いているように「ア リラン」がどこからと無く流れてきて飛行機の旅とは違った旅情を誘う。船に乗るなんて
遍路以来やなぁ…曇り気味の空のお陰で夕の空が金色となる。

あぁ…どんな旅になるんやろう…楽しみ楽しみ!
 

出会い…甲板から帰り、サウナ風呂みたいなを発見!人が入ってなかったが、多分客用だろうと思い、
浸かって鈍行列車紀行の汗を流した。(多分、入ってもいいんやろうな?あれは…)
 
 

湯から出て、大部屋で司馬遼の『韓のくに紀行』な んぞ読みながら韓国の気分に浸る。
その後、『地球の歩き方』を読んでると、なかなか旨そうな料理が…腹も減ってきたなぁ…

よっしゃ!船での食事!!と言うことになり、食堂へと向かう。この船は韓国の船(帰りは日 本の船だった)なので食堂もどことなく韓国スタイル。
メニューも韓洋折衷って感じだろうか??僕はやっぱりこれから韓国に行くのだからと思い。「ビビンバ」 を頼んだ。
英語での表記が"Mixed rice"となってるのが面白い。

 3日くらい前まで北海道で「日韓学生ワークショップ」に参加しており、
韓国料理に舌が結構馴れていたのでビビンバ(pipim pap)を食べるとなぜか
北海道での思い出が頭の中をよぎった。楽しかったなぁ…あの一週間も!!

ふと席を立つと私のように一人でご飯を食べる男の人が目に入った。

荒「おひとりで?
そうですよ!
荒「具体的にはどちらに?
いやー会社の休みできてるので・・とりあえずチェジュド(済州島)にでも行きたいなぁって 思ってるんやけどね…
でも一人で行くの(言語の問題で)大変そうだし
荒「もしよければキョンジュ(慶州)一緒に旅しませんか?

かなり強引であったが、一緒に行っていただけることになった!!
氏はなんと川西のご出身らしくその後京都の大学を出られて、現在山陰のメーカーにいらっしゃるとのこと。

なんと島根から原チャで下関まで来てそこから船に乗ったそうだ。なかなかのツワモノである。
彼と話をして夜が更けて玄界灘を越えていった…

おやすみなさい…

8月11日に行く


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