1997年811

一路キョンジュ(慶州)へ、旅人との出会い。


入国・・・朝起きてみると、船は止まっているようである。多分早くについて碇を降ろしてい るのだろう。
着岸時間が近づくにつれ、アジュンマ達の動きがだんだんと激しくなってくる。それにしても大きな荷物の数々。
手伝いましょうか?」と言いたいくらいだがこちらとてバックパックを担いでお り自分自身の事で精一杯って感じである。
着岸してタラップを降りていく。

 前期にとってた一般教養(うちでは広域副専攻科目って言ってたっけ?)の国 際経済の時間に韓国の釜山港は、神戸と違い港湾
営業の時間が24時間制(震災以降数年は、神戸も24時間にしてたけど)をとって、国際貿易港として名をはせていると習ったが
確かに、ガントリークレーンの数が多い。

 そして「韓進(Hanjin)」 と書かれた建物の多いこと多いこと。六甲アイランドのうち(甲南)のグラウンドの近くにもたくさんhanjinって
書かれたコンテナがあるけども、そのコンテナ達の本家本元にきたんやなぁって気持ちが非常に高まった。

 入国審査は至って簡単だったような気がする。韓国語を話せるのかと思っていたが、日本語でのやりとりだった。
あれよあれよっていう間に韓国です。ホンマにあっけない入国って感じかなぁ。

フェリーターミナルのところ案内書があり、とりあえず、高速バスターミナルの行き道を綺麗なお姉さんに聞くことにする
地球の歩き方見て分かってたけど、一応きいといたほうがいいかなって(汗)

地下鉄・・・両替した後、フェリーターミナルを出て、地下鉄の駅に行く。初めて韓国のお金 を使うチャンス!
ここで韓国の切符販売機が日本と買い方が逆であることに気づかされた。日本はお金を入れて切符のボタンを押す。
しかし韓国は行き先の運賃のボタンを押してからその金額分のお金を払うってやり 方である。

確かに、韓国の方が、「それおくれ!」「はい!500円な!」の商売のやりと りのままって言う感じが表れている。
しかし、先に硬貨をいれて機械が壊れてしまったときのトラブルを避けてそうしたのかな?(もちろん逆のトラブルも考えられるけど)
釜山地下鉄は、韓国語の放送と英語の放送が流れる。それに駅の表示は、漢字、ハングル、ローマ字があり、非常に分かりやすい!

中央洞(チュンアンドン)からトンネまで乗り、そこから歩道橋を渡ると高速バスターミナルであった。

バスターミナルでブランチを・・・バスターミナルで、キョンジュ(慶州)行きのチケットを 買ったところで、
声をかけてくるアジュンマ群がいる。
ちょこっと目を合わせただけで立ち上がり、カウンターをバン バンと叩く。飯屋が数軒ターミナルの中に入っているのである。

荒「ご飯食べますかぁ??
T「そうやねおなか減ってたし・・・

よう考えてたら、二人とも朝から何も食べてないのだから・・・(僕は牛乳は飲んだが)

ということで、なぜか朝から(朝でもなかったが)テンションの高いおばさんの作るピピムククス(混ぜ麺)を食べることにした。
ピピムククスと言うだけあって、混ぜる混ぜる。それで味を「出す」様な感じである。(笑)
Tさんの混ぜ方が足りなかったらしく、アジュンマが実演して混ぜてくださる。日本では行儀悪いとされる箸の両手持ちも
「混ぜる」文化、韓国に於いては、非常にポピュラーな持ち方となっている。

満腹になった!そして・・・

いざいざキョンジュへ!

バスは、運転手が非常にとばすものの、快適そのもの。クーラーはきいてる し・・・1時間少しで到着した。

古都慶州・・・何かの写真通り、非常に黒っぽい瓦の多い街だなぁというのが第一印象。
とりあえず宿を決めるとのことで、地球の歩き方にもある、「西 川旅人宿(ソチョンヨインスク)」←パッチムないので正確な発音じゃないです(涙)
に泊まるためとりあえず探すことに・・・
すぐに見つかり、とりあえず部屋をみせてもらう。

2人で12000ウォン。安 い。扇風機はついてるし、トイレも水洗(共同)だし、まぁいいかってことで決めさせて貰った。

私を見て女将さん「香港から??」とおっしゃる。日本人と香港人の二人旅と 思ったみたいだ。(笑)
宿帳は、日本の宿帳そっくりで言葉が韓国語になったバージョン!!こういったモノって言葉を変えても
形式は普遍的に広まるのかなぁとも思ったりもした。

いざ仏国寺へ!!

宿に荷物をおろしたところで、さぁ観光!ということでバスで仏国寺に行くことに!
ちょこっとハングルを勉強していったおかげもあって、「プルググサ」と書かれた バスに乗ることが出来、世界文化遺産(になったんやな?)
の仏国寺に!そういえばこのお寺は加藤清正が壊したらしい。案内板(英語版)には、「壊れた」とした書いてないが、ハングルの方は
どう書かれていたのだろうか?

お寺でも観光地って感じであったが、それはそれで、いい風景だった。
仏様を撮ってはいけないところなど、信仰もあるのかな?とも思った。
「ナムアミダブ○×○?(後ろの語は分からなかった)」とか子供が母親に聞いてる姿があって
ほほえましかった。

あと、洞窟に彫られた石仏、石窟庵に行こうと山門を出たときに、立命に行ってる旅人と遭遇した!
彼は石窟庵に行って来た後と言うことだったので、彼とは、夕食の時に彼の泊まっている韓進荘旅館で落ちあうことにして
石窟庵に行った。非常に柔らかな顔をした仏様で、こちらもなごんでしまった。

雨が降ってはいたが、非常に心地が良かった。

ダンベル体操をするご主人・・・宿に帰ると大体5時くらいになっており、ちょうどご飯に良 い時間。慶州は僕の住んでる西宮より
日が落ちるのが遅いみたいで、まだまだお昼のような空の色である。立命のR君を迎えに行くために韓進荘旅館に行くと
オーナー氏が中庭でダンベル体操をしておられた。非常に日本語が達者で、「そうだな、ご飯を食 べに行くなら○○に行く
のがいい。あそこは外人むきだ。」と教えてくださった。(外国人むきでない飯屋 で食べたかったので行かなかったが・・・)
また僕の泊まっている旅人宿は、確かに安いが「風呂がないでしょう?
と言い、もし明日もともるのだったらうちに来なさいと勧める始末(笑)

 そうこう話をしているうちにR君が用意ができ、3人で慶州市内を散策することとなった。

市場で見る豚の頭・・・慶州市内まで歩いて行き、市場に入ってみた。やはり鶴橋のような雰 囲気を漂わせながら、
非常に活気のある市場であり、アジュンマ達も必死になって商売してるのが見てとれた。

 そこでいた(笑)のが、である。正確には豚の頭である。
僕はそれまで本とかで見たことはあったが、T氏には衝撃的だったらしく「アレ凄かったよなぁ」 と市場を出てから
かなり興奮気味に話してらっしゃった。

後日談であるが、うちの研究室の先輩の話によると、あの豚の頭は、「笑っているモノ」 程良い値が付くらしい。
どうやって笑わせるのだろうか?何か猫じゃらしとかでくすぐらせた後、屠殺(汗)??知っている人は教えてください!(^^;)

そのあと新羅百貨店に行き、文房具店に入って物価やどんなモノがあるのかと探していたのだが、
僕が一番欲しかったのは、「履歴書」 である。

これもさっき書いた、宿帳同様日本にあるモノと全く同じ様式で構成されていて、すべてハングルと漢字から構成されている。
もちろん日本の履歴書同様、書き方などもご丁寧に印刷されていて、買おうかどうか非常に迷ったが、
結局、「日本で使うことはまずないやろう」の結論に達し、購入は見送られた(今やったら絶対に買ってる!また行かないと。)

日本製の文具が多かったのと、店の構成とかも非常に似たり寄ったりというのが面白かった。
早くも、日本に似た場所に身を置きたかったのかも知れない今考えると。

欧米人とかがアジアに来たらマクドに入るという心境やったのかな?(笑)
韓国は、似てるところもあるから、僕らの日常からすると何気ない風景とかが落ち着いたりもするんやけど。
 

チャヂャライス!!・・・ということで晩ご飯である。知らないレストランにはいるのって、 非常に勇気がいるのと、はずれだったときの
落胆が非常にあり、それから回避するために色々とレストランを物色していたのであるが、結局入ったのは、写真表示がある
チェーン店舗の韓食店に入った。

私とRくんは、石焼きビビンバ、、Tさんは「チャヂャライス」という怪しげなモノを頼まれた。
チャヂャライスとはカレーライスのルウが「ジャージャー麺」にかかっている黒味噌とミンチのタレ
に変わっている代物。

荒「結構冒険しはりますよね?
T「旅は冒険やからな。
荒「かっこいい!!でもここで冒険せんでも(汗)

などと話していたのだが、実際出てきたモノは、ご飯にタレがかかっているものが、石焼きビビンバの
容器に入ってると行ったモノで、ジュージュー言いながら結構おいしそう!で一口貰ってしまった(^^;)

ご飯が来てから、付け合わせのキムチと酸っぱいタクワンをかじりかじり、韓国の事、旅のことなどについて熱く語った
3人であった。
 

ちなみに帰った宿のシャワーは、冷水であることが帰ってから発覚!
パロマの湯沸かし器があったので、これけられないの?っていうと
駄目とのこと(涙)かなりふて寝して、次の日冷水のシャワーを浴びることとなった(涙)
 

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