1997年812

テグ(大邸)へと向かう。メル友、HAWKさんとの出 会い


 昨晩、歯を磨きに外に出たのだが、そこでいた妙齢の女の人は誰やったんやろう?礼をしようとしたらぱぁっと部屋に入っていってしまった。
まぁ旅人宿は連れ込み宿みたいな面もあるみたいやから、それもあってさぁっとさって いったのかな?寝る前、表通りでおっさん喧嘩し出すし・・・
まぁ旅情をかき立てるモノでもあるけど。(汗)やっぱり静かに寝たかった。

別れ・・・朝になった。実は、朝ご飯をR君と3人で食べようと昨日話していたのだが、起き たのが、9時半も過ぎていて彼は、今日の午前便で
金海空港から帰ると言っていたために、まぁ彼も出たやろうと言うことで、ちょこっと寝た後で、起きてチェックアウトする。そこのアジュンマに 飯のおいしい食堂(多分手頃な食堂を紹介されたの思うのだが)を教えて貰い、朝とも昼ともつかないご飯を食べる。
僕が、食べたのはチャンポン、Tさんが食べたのは、確かビビンバだったような気がする。隣のサラリーマン風の男の人たちが、さらした玉ねぎを
黒味噌にディップして食べてるのがおいしそうで、僕らも同じ事をやる。確かに旨い。

 その玉ねぎのぴりぴりさチャンポン(韓国のチャンポンは少し辛い。色が真っ赤でも日本と同じく「チャンポン」で通じる。)の辛さが暑さを ふっとばしてくれる。お腹もふくれたところで、Tさんとの別れとなった。
僕は、大邸(テグ)に行き、Tさ んは釜山に戻るかするという。Tさんは具体的な旅のスケジュールが決まってなかったために、実は僕についていきたい
とも漏らしていたのだが、僕もこれから会うメル友に僕一人だと言っていたし、このあたりで別れ ていた方がいいのではないかと思ったために、かなり後ろ髪引かれる思いで別れることとなった。(Rさん元気でいらっしゃるのだろうか?)
 バスターミナルのところで、一緒に食べた、ピーナッツ味の付いたベビーカステラ(ピーナッツ の形をしている)の味が忘れられない。そして、テグ行きのバスがでるまで見送ってくださった、Rさんの顔も・・・別れはつらい。

テグのバスターミナルにて・・・1時間少し でテグについてしまった。韓国国内は本当にバスのおかげで非常に速く行ける。
バス停に着いて、とりあえず僕のメールフレンド、Hawkさんのポケベルにメッセージを入れ る。韓国のベルは、ボイスメッセージ機能の方が主流で、
声を残して聞いて貰うやり方をとっていたのであるが(今は携帯電話に取って代わられているだろ うが)彼のポケベルに電話してると、英語で
「自宅の方へ電話して欲しい」と彼の声(先日初めて彼の声を聞いたわけであるが)。とりあえず 自宅に電話すると、彼が出て
H「今どこにいるの
荒「今、東大邸バスターミナルに おります。
H「そしたらちょっと待ってて ね。後5分位したらそっちに行くから電話ボックスのあたりにいてね
というので、彼の家はそんなに近いのかぁ?もちろん昨日の電話で彼の家が結構近いことは彼から 聞いていたのであるが、
歩いて五分とは・・・うーん・・・

しかし5分経っても彼がこない。うーんだまされたかな?とも思っていたら、マウンテンバイク に乗った優しいそうな男の人が
こっちを向いていた。
君がヒロか?
そうですそうです!Hawkさ んですか??はじめまして!
電話ボックスの前って言うから 向こうのあたりをうろうろしてたんやけど、こっちにいたんか?ヨロシク!
ということで、とりあえず家に行こうと言うことで、彼の住む家に行ったわけである。
メールでやりとりしているときに彼の家族構成などを聞いていたのだが、初めて会う人達って事で 非常にドキドキする。

Hawkさんのおうちに上がる・・・彼の家 は、団地で、本当に日本みたいな建て方である。
車の駐車の仕方が少し私のあたりとは違っていたが。
階段を上がり、彼の家に入る。青と白を基調とした非常にさっぱりとした色使いの部屋の中、優し そうなご両親が
座っていらっしゃった。

アンニョンハシイムニッカ? チョヌン、アラカワヒロノリイムニダ.
とおぼつかない韓国語で自己紹介をする。
向こうもそれに答えて「ネー。パンガップスムニダ」と返してくださる。
初めてはいる韓国のおうち。それはそれは感動的なモノがありました。

 その後、彼の部屋に通され、果物をよばれる。本当においしいスイカ。
テグはリンゴの街だけどもなかなかスイカもおいしいじゃないか。(多分全羅道産かな?)

 そして彼のパソコンを拝見。彼のホームページも覗かせて貰う。
もちろん日本でも彼のホームページは見ていたのだが、こうやって作られた現場で
見るというのもなかなか面白い。
彼はどこから自分の名前を得たのかと言うことが不思議だったらしい。

私は「サクラメールフレンド」というサイトで探しましたよ!
というと「あぁあのサイト かぁ・・・ほとんどあのサイトは見てないと思ったのに見てる人あったんやな。
と不思議な顔をされた。そんなにレアなサイトやったんやろうか?でもでもそれが縁で
こうやって知り合うことが出来たんやからホント縁ってわからんモンです。

学校へ・・・色々と話をして、「今から俺の行ってる学校へ行こう!」ということになり、国 立の慶北大学校にいく。
「みーやーこーのせいほく。」ではないが、このテグからは朴正熙・、盧泰愚など大統領をポコポコ出した慶北高等学校がある。
彼は、レポートを出さなければならないため、夏休みなのだが行かなければならなかったと言うことである。

 とりあえず言ったところは、ESSみたいな英語を使うクラブであった。彼の英語はここと軍隊で鍛えられたと言っていた。
彼がレポートを出しにいくまで、そこにいる学生達と話をする。
年齢を聞かれたり(韓国では年齢によって相手との関係を決めていくためらしい。そこで僕は、年より上に見えるといわれた。
ちょっとショックだったが、韓国では誉め言葉なのかも知れない^^;)日本のことについて質問が出たり、色々と楽しい会話をした。

他には「スラムダンクの最終回ってどないなってんねん!」と非常に突っ込まれ た。(笑)
日本の文化をシャットアウトしてきた韓国だが、このごろになって日本文化流入に対して穏やかながら認めると言ったような
政策らしい。(もっとも海賊版は多く流入しているのだが)

彼がレポートを出し終わった後で、彼のもう一つ参加しているサークル「コンピュータクラブ」にも顔を出した。
そこでは、ジャンク品などを組み立てたりもやっていたが、プログラミングなどの話もしていた。
ここの学生は、あんまり英語が達者でない学生が多くて、さほどコミュニケーションがとれなかったが会議の様子などを
見るだけでも楽しかった。うちの大学の文化会の会議ににてるなぁとも思ってしまったが。非常に自己表現が増されているなぁと
感じた。

 また学校に来て感じたことは、「先輩後輩」が日本よりはるかに厳しいことである。Hawk氏は大学3回生だが兵役に行って来た後なので
一回生からしたら非常にえらい先輩になってしまう。彼の前でびしっと凍ってしまう後輩がいてこっちがびっくりしてしまった。

  うだうだしてるといい時間が来て、彼と学外に出る。ちょうどいい感じで暮れ出す。昨日も思ったが韓国の夕方は長く、そして綺麗だ。

参鶏湯の味・・・家に帰ると、大切な客人を迎える料理「サムゲタン」がHawk氏のお母さ んの手料理で出来ていた。
サムゲタン(参鶏湯)とは、鶏肉の中に餅米、杏、朝鮮人参などを入れ、煮込む料理で、鶏肉は長く煮込まれたため、非常に
柔らかく、スープは非常に美味であり、そして中の具は一つ一つが独立してて、全部を何とも形容しがたい本当に
おいしい料理であった。(ホント有り難うございます。)

 Hawkさんの説明では、慶尚道の料理は全体的に塩辛いということだったが、私の舌にはあった。日本だとテンヤものはからいのは
当然だし(味濃くしないと売れないでしょう)、唐辛子を使わないから、もっと塩辛く感じてしまう。それに比べて
Hawkさんの家の家庭料理は、塩加減がちょうどでそれで、キムチも絶妙につけ込んでらっしゃって本当においしかった。
キムチの味が、また家によってこうも異なるモノかとも考えさせられたときでもあった。

日本のことを繰り返しやるテレビ・・・食後にお風呂に入らせて貰い、テレビを見る。
テレビは8/15の独立記念日光復節に向かっている時であり、テレビは
日本のことを繰り返し流していたし、そして、独立の英雄、金九についてのドラマをやっていた。
日本なら、「はだしのゲン」をやったりしているような感じやな。

 もちろん寝るまでの間、日本と韓国の歴史の話になったのは言うまでもない。
本当に激論が飛んだ時間であったが、私はその前に日韓共同ワークショップに行っていたのもあり、
その続きをしているようで頭が非常にさえていたが、突然やられていたらこちらもしどろもどろになっていたかも知れない。(笑)

 日本の戦争責任、日韓併合のことなど歴史的な勉強が、立場の異なる個人同士によって話が出来る現在、
は本当に分かり合える時代になるかも知れない。

 そうやって夜は更けていった。

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