4/15/2001
「レール」
 鉄道・・・そんなに入れ込んでいるわけではないのだが、好きである。そしてうちの研究室にもツレにも程度の差こそあれ好きな人がいる、 「テッチャン」て呼ばれている人から、バックパッカーで乗る列車が好きな人など・・・

 僕は、産まれたのが大阪市なのだが、1歳の時に引っ越したので育ったのは西宮の夙川という阪神間の街である。阪神電車、阪急電鉄がひ かれるまで、歴史的にも日の目を見ない地域であったが、電鉄の駅が出来てからわっと広がった街・・・そこで僕は育ったことになる。つまり 電車が作った街に育った男とでも言いましょうか(笑)

 一番ふるい電車の記憶は、阪神電鉄系のホテルに勤務していた祖母の出勤を見送りに駅まで行った時だろうと思う。確か2歳くらい。夙川 駅も今のロータリーとかなくて僕の記憶の中では温泉街にある駅舎って感じだったような気がする。

 それから阪急は小学校入学から僕の通学路の一部として組み込まれ、今まで僕を届けてくれている。中学校のクラブが終わって帰路の車内 の蛍光灯の色。高校時代留学する前にみんなから花を貰って「それじゃ1年後に」といって閉まったドア。初めてお酒に飲まれたときは、岡 本>梅田と来て気づいたら高速神戸におろしてくれたなぁ(笑)、高校時代、土曜日とかちょっとクラブずる休みして乗る車内の暗さ。僕の人 生は本当に電車とともにある。電車は同じやけど、そしてほとんど通学の目的でしか使ってないけども、本当にいろいろな思いが詰まってい る。他に乗ってる人もそうだろう。

 僕のこれまでの人生もこの電車と同じくレールを突っ走ってきた。小学校>中学>高等学校>大学>と・・・本当にひかれたレールで、目 的もほとんどが明確化されたものやったと思う。試験でハイスコアをとる。単位を揃える。卒業する。そして次の段階・・・
 もちろん同じように走る電車と同じく、目的を遂行していく過程で、いろいろな思い出が出来た。友人に会う。趣味を作る。人と語る。酒を 飲む。人を愛する、憎む、泣く、怒る・・・・もちろん将来のことも語る友人を多く得ることは出来た。この意味では「いい線路」を選んだの かなぁと思うし、天に感謝であります。

 ただこれからこのレールから離れないといけない。もちろんどの方向でもレールひかれているだろう、見えないだけで・・・ただこれまで 僕がたどってきた線路よりは遙かに見えにくい。ちょうど今、電化された鉄道の最終駅につこうとしている感じである。これ以降ディーゼル機 関車(もしくは汽車?)に乗り換えるのか、道を行く自動車に乗り換えるのか、それとも歩いて道なき道を行くのか・・・

 レールの上を走るのも大変だし、悪路もあるだろう。もちろんない道を探検しながら歩いていくのも相当の苦難がある。
これまでは目的という終着駅がはっきりしていたから、嫌々ながらも電車に乗り続けられた。

でもこれからはそうはいかない。

鉄道だと脱線するかも知れないだろうし、車でもナビがないと旅を続けられまい。歩きは初めから放浪である(笑)

どの旅をするにしてもやっぱり旅は「楽しまないと」いけないと思う。プラス思考、ネアカに楽天的にいきましょう!!ってか??

人生を旅って位置づけると、一人一人の人間の価値がより相対化できるような気がする。

 さてどの旅を選びましょうか?飛行機が 良いなぁって??ぶっ飛んで行こうか!(笑)


春眠を車内持ち込み梅田かな
揺るやかなレール音なり4月かな
春暁を受けて迎へる始発かな



4/7/2001
「六甲山」
 「昨日、六甲山に登ってきました。」というとたいがいの人が、「おぉ車で??」と聞き返すのだが、歩いて登ってきました。六甲山って言うの は、「夜景を見に行くトコ」みたいな意識が強いのかなぁ?(夜景も大好きなんだけど・・)山登り、もしくは軽いトレッキングとしての六甲山は 非常に気持ちがいい!空気がうまい!

 六甲山には、いくつかのルートがある。有名なのでは「油コブシ道」、「シュラインロード」「アイスロード」などなど・・・アイスロー ド、シュラインロードは19世紀から20世紀のはじめに、神戸に来た外国人が、専ら利用していた道であり、ここを抜けるとこれまた、イギ リス人が作ったゴルフコース「神戸ゴルフ倶楽部」へと出る。神戸ゴルフ倶楽部に関しては僕がバイトで働いているので、またの機会に書くと しよう。

 昨日登ったコースは「芦屋ロックガーデンを抜けて風吹岩、雨ヶ峠を抜け七曲がりを経て六甲山頂(一軒茶屋)へそのあと魚屋道を通り有 馬温泉へ」である。僕の中学高校の秋の恒例行事がこのルートを行くというものでもうかれこれ20回以上登ってることになる。
 中学1年生の時はそれはそれはしんどいコースで、この時期になると水風呂に入って風邪をひかせて休む某先輩の話が分かる気もしたが、喉 元過ぎれば何とやらで、いつの間にか覚えた山を登った後に入る温泉の快感がたまらず、大学時代、講義がないときがあると、ちょくちょく気 のあった友人と登っていた。

 六甲山は、大学2回の時からアルバイトで山頂のゴルフ場で働いているって言うのもあるが、ホント見えない糸で結ばれている気がしてな らない。中学の「強制登山」(笑)のイニシエーションは、「芦屋ロックガーデン」であるが、ここを開いたのは、当時朝日新聞の記者だった 故藤木九三さんである。今でも氏を祈念して「藤木祭」というのが開かれているらしいが、この人は宮様と登山をしたり、様々な山を読者に紹 介したりして、「登山、ハイキング」というレクリエーションを日本に確立させた第一人者である。「朝日新聞」「藤木」という名前でピンと こられたかも知れないが、本多勝一氏などとカナダ極北部、アラビアの砂漠、ニューギニアなどに行き、フィールドワークをされて有名な探検 家「藤木高嶺」先生は、息子さんにあたる。

 藤木先生は、私が高校の3年生の時にうちの高校へ講演に来られた。そのときの講演内容は、ロックガーデンで過ごされた話や探検記だっ たが、私が非常に感銘を受けたところは「いかにして異文化の人と接するか?」や「偏見をうち払って人と接することの大切さ」「メディアを 鵜呑みにしないこと」などであった。実は僕は、その前くらいから本多勝一の探検記を読むのが趣味となっていた。
 目でしか見ていない情報を「耳学問」する事で興味が、沸々と沸いてきて、現在の私に至っている(笑)。もしこの時、氏の話を聞かなかっ たら僕は、違った学部を選んでいただろうし、今の師匠にも出会えなかった。本当に「運」である。六甲山がもたらしてくれた「運」であると 僕は思っているが・・・この運をどう活かしていくのか・・・これだけは時間が解決するモノではない。俺が解決しないと。

P.S. ちなみに六甲山の神様は「菊理姫神」という女の神様。カワイイ女の子と登ったら、神様嫉妬しないのかな?(汗)
生田神社の神さんは、女性にで嫉妬するからアカン(カップルで行くと分かれる?)って宮司さん言ってたけど・・・
 バイトさせてもろてるだけに、菊理姫から好かれるようにせなアカン。だから西宮神社の境内摂社でやっぱりはじめに拝むの六甲山神社なん です。今年度もヨロシク!です菊理姫様。さあ!キャディーの季節や!!
 

湯煙としだれざくらを揺らす風
春眠を吹き飛ばすなりチャイひとつ
ロックガーデン登りきりたる春の風


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