6/9/2001
「ライスシャワー」

 もちろん、あの名馬の名前ではなく、結婚式にやるあの米まきのことである。元々欧米起源であるわけやけど、なぜ米なんだろうか?
パンに葡萄酒(ジュースの場合が多いが)を食べさせる儀式は、キリストが言ったことだから分かることだけど、豊穣を表すの為に米が使われ ているのだろうか?このサイト見た人で知ってる人がいたら教えてください。お米はインディカなのだろうか?それともジャポニカ??
まぁどっちでも良いかぁ・・・(汗)
 
 ライスシャワーとタイトルの如く、6月初めに参加した、結婚式のことです。実は結婚式に出たのは、これが初めて。インドのバラナシで隣 で結婚式やってたって言うのとか、春日大社行ったときにちょうど結婚式やってたって言うのはあるけど、お呼び下さって参加したのはこれが 初めてなんです。本当にうれしかった!うれしかったです!!

 結婚されたのは、洋上の時お世話になったスタッフの方。「自称」洋上のアイドル。(汗)
関学のベーツチャペルでの結婚式となりました。
 
 ベーツチャペルのベーツとは、宣教師だった方で、山田耕筰作曲の名歌「空の翼」に出てくる歌詞、「mastery for service」の言葉を関学生に説いてたその人であるらしい。新婦のお父様から教えていただいた。クリスチャンの学校らしいなぁと思ってしまう。
 うちの学園歌は、軍歌の名曲「海ゆかば」の作曲者、信時潔であり、作詞は寿岳文章先生という広辞苑の寿岳章子先生のお父さんである。 はっきり言って凄い組み合わせである(笑)

 アメリカでは関学は、kwansei gakuin universityというよりも、SMU (Southern Methodist University)in Japan.と言った方が分かってくれる人が多い。特に南部での話であるが。
 メソディストの教会に足を踏み入れるのもアメリカ以来やなぁ。ホームステイしてたとき、ホストファミリーが「バイブルベルトの出」らし く敬虔な方々で、メソディスト教会に日曜だけでなく、水曜も参加していた。なかなか大きな教会でご飯が旨かったのを記憶している。ケ チャップ甘く煮た豆とかうまかったなぁ。アメリカの味です。初めての結婚式は、そういったアメリカの思い出を彷彿とさせてくれました。光 をうまく取り入れた造りも懐かしい。懐かしい歌(日本語に訳されていたが)も歌えたし、本当に満足の限りでした。

 本当に結婚式日和って言うか、見事に晴れ渡った良い日でした。芝と青い空とのコントラストが素晴らしかった!!本当に・・・

 僕もいつか結婚するんだろうけど、どんな結婚式やろうかな?などと考えてしまった。フランスのように同棲するだけで既婚者と同じ権利 が与えられるPAX法もあるし、結婚の形態は変わっていくだろう。
 家庭を新しく作っていくことは大変やけどもやりがいがありそうやなぁと思ってしまった。僕はまだまだ学徒の身。修行することが多くてそ れどころじゃないんだけども、色々なことを考えさせられた結婚式でした。

 五月晴れ祝福の米降りにける
青芝に白きドレスが舞ひにけり
ウエディング青芝までも祝ひたる

 


6/1/2001
「生誕会」

 6月1日が、僕の誕生日である。気象の日であり、有名な人で言うとマリリンモンローが誕生日やったような気がする。
今日で24になったことになる。これで本当の年男でしょうか(厄男でもあるが・・・^^;)
 女の人ほどではないと思うが年を重ねていくと言うことにはいやである。エイジングであり、ウィスキーの醸造過程のように例えられる人も いるだろうが、僕としては、ずっと今のままでいたいと思ってしまう。今の状態が楽であると言うこともその言葉の裏にはあるかも知れない。

 台湾の映画監督ホウ・シャオシェンの名作「悲情城市」の中で、日本が負けて国民党が渡ってくるあたりのシーンでこういった物語が導入 されている。
 「ある日本の若い女性が滝に身を投げた。彼女は何の苦もない女性だったが、今の幸せな状態で時計を永遠に止めてしまいたいが為に滝に身 を投げた。」とサクラが舞い散る幻想的な映像が流れてこの話が語られる。

 これが台湾人(もしくはホウ・シャオシェン)がイメージする日本人なのだろうか?戦争の頃の軍歌「同期の桜」はもっと悲壮な意味が含 まれていたが、「綺麗に死ぬ」というところでさくらが使われていたところは同じだろう。
 一番いい状態をとどめておくために自らで時間を止める。なにか生け花にも通用しそうな境地である。

 しかし自分の場合、そこまでは考えない。多分に状況が逼迫していないのと、この先生きていくとモットモットおもろい事があるのではな いか?と言う期待感、そしてこれから前進して自分自身もと大きくなってやろうという、プロモーティブな感情があるからだろう。

 永遠に若い気持ちで、そして体力でいたい。まぁ体力は生物的な問題であるからこれだけは年を重ねていったら駄目だろうが、精神を常に 新鮮に保つこと、流されないこと、自分を持って生きていくことは続けていきたい。

 「楽である」状態からはいずれか脱するときは来るだろう。時間的にももちろん自発的にするのがベターだが。でも今の状態、特に大学院 に入って学んだ、「常に考える力、物事を時流に流されず自分の秤ではかってみる努力」だけは持ち続けたい。
 大学の学園歌の深さがようやく分かってきた。24歳。良い誕生日を有り難う。

「世の常に媚ぶるなく、わがくるま星につなぐ 若人の誇り高し 甲南この学びの舎」(甲南学園歌4番 寿岳文章作詞)
「敬天愛人」(西郷隆盛)

水無月やバースデーコール流れたる
六月のビートの利いた誕生日
五月晴れ眺めて歳を自覚せり


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