7/23/2001
「教員採用試験挑戦!(その壱)」


六甲山のアジサイ

 昨日、兵庫県の教員採用試験を受けた。と言っても筆答試験が29日であり、受けたのは1次試験の面接パートと言うことになる。
今日は、少しドキュメント風に書いてみようと思う。しばしの間おつきあいを。(汗)ひどく暑かった日の挑戦!(爆風スランプか??)

 6時55分にセットした携帯電話、7時にセットしたラジカセ、そしてアメリカ留学の前に友人からプレゼントとして貰った目覚まし時計 が7時頃(アナログなので)順々に鳴り出す。メッツの新庄選手も寝起き悪いらしいが、僕もかなり寝起きが悪い。と言うか、目覚ましを知ら ない間に消してしまうクセを体得してしまっている。3つくらいなら無意識で消してしまうことが出来る、自慢にもならないアホな奴である。 去年参加した大学洋上セミナーの時も同室の先輩に迷惑をかけてしまった。(鳴り出したらすぐに消してしまうらしい。)確かネパールゼミ旅 行の時もモーニングコールを取って、そのまま寝てしまってえらいことになったなぁ。(笑)

 しかし、重要な用事があると、このクセは飛んでいってしまう。要は生活のたががゆるんでいる証拠なのだろうか?まぁそれはともかく、 昨日は重要な用事と脳が判断したらしく、さっと起きて、着替えを済ませる。そして阪神の野村監督が派手なパンツをはいてゲンを担ぐ事にあ やかって、派手なトランクスを臆面無くはく(まぁどうでも良いが^^;)そして朝食。
 十日戎研究の関係で飾ってある、戎様の神像に手を合わせ(普段の生活で絶対こんなコトしないが)、試験の無事を祈る。おぼれるモノは何 とかである。スーツは一番「お堅い」濃紺の2つ釦シングル。靴下も濃紺、Yシャツは無地、靴も一番フォーマルな堅い奴である。まるで金融 関係の就活に行くようである(笑)ただネクタイは、甲南のカレッジタイにした。まぁ没個性の中のこだわりというか。(笑)

 家を出る。駅にある、延命地蔵の前で長々と祈る。まさに教員遍路である。遍路もある程度は僕にとって研究対象でしかないが、やはり仏 教を少しはかじっていたために出た行動なのかもしれない。道行く人は夏の暑い日差しの中、読経する怪しいスーツの男を眺めていることだろ う。何人か後ろで立ち止まっていたのを感じた。そこまでしないと今日の試験は自信がなかった。教員になりたい!と言う思いは非常にある が、教員過程はあくまで副専攻であり、僕はあくまで人類学の学徒だという意識が抜けない。そういう意識で試験に臨んでも面接をしてくださ る人にとって失礼だと思ったし、仏の前で心経を唱えることで心を無にしようと考えたからだろう。もちろんだいぶん前より教員試験に向けて の対策、心の準備はしてきたつもりであったが、何か心に残るものがあったのだと思う。確かに唱え終わったらのどの奥の小骨がとれるかの如 くさわやかな気分になった。やるからにはやってやる!教員になってやる!との思いを新たにした。

 電車を乗り継いで、学園都市に着く。神戸の西部に行くときは自動車を使うことが多い。本当に久しぶりの地下鉄であった。総合運動公園 に入るあたりで地上にでる。朝日がきれいだ。夏の朝は気持ちいいなと冷房のかかった車内で感じた。
 だがこれは車内だけで感じていたのに過ぎなくなった。ホームに降りると横っ面から熱風。まるでバンコクのスカイトレインである。降りる 客は圧倒的にスーツ姿が多い。もちろん大半は僕と同じところに行くことになるのだろう。列車内の顔ぶれを見てみて、年齢層が思ったより広 いなと感じた。僕くらいの年齢の人がほとんどではあるが、高校生のような面もちの人(ただ童顔とも言うが)、予備校の先生然の風貌を漂わ せた人・・・この人達と同じ土俵に立つわけかぁぁぁぁ。土曜日にインターネットのサイトを見ると僕の受ける教科「中学社会」は43倍と なっているなかなか厳しき倍率。自分のセールスポイントを明確にせねばと改めて感じた。

 会場は神戸商科大である。歩いて10分とあったが、前にあるのは神戸市外大のみである。地図で見て確認したが、とりあえず中学生くら いの子に聞いてみると「知らない」とのこと。余計に焦ったが、案ずるより産むが易し、時間30分も前に会場にたどり着くことが出来た。
 しかしである。なんと試験時間が早すぎるからであろうか?それとも日曜日だからだろうか?会場以外の校舎は全部施錠しているのである。 盛夏の太陽は容赦なく花崗岩で出来た路面を熱していく。非常に暑い、上着を脱いだ状態で雲霞の如く集まった受験者にじりじりと照りつける のである。日陰はほとんど埋まっていた。日陰のキャパが限界を超えている。何人かは汗みどろになり、ある人は鰯の生干し状態となってい た。
 私は何とか日陰を見つけ涼むことが出来た。隣には私と同じくラッキーな人がいたので話しかけてみることにした。彼は、龍野市の中学で体 育の常勤講師をしているとのこと。今年の試験は受からなくても良いと校長先生から言われているそうで、ジャケット無し、鞄は高校生の持つ スポーツバッグ1つで来ているのには焦ってしまった。人それぞれですね。

 やっと部屋にはいることが出来、面接の待合いに入って、面接のやり方を聞く、それによるとある一定のテーマでいきなり討論しそのあ と、一人ずつに考えを聞いていくといったものである。去年のやり方が書いてある本にも、よく似たように書かれていたが1分ほど自己紹介が あったが、それもないとのことである。臨機応変なのが僕の売りでもあるので(^^)。大きな気持ちで待つことにする。
 トイレ休憩の後、面接の部屋まで並んではいることとなったが、前の受験者がやたらと緊張していて、こっちまで緊張しそうになる。
鞄の置く場所あるっていってましたよね?とか聞いてくるので「なかったら前に置いたらいいんと違います?」と少し意地悪をしてみた。(笑 もちろんその後、大丈夫大丈夫!と安心させたつもりだが、緊張はほぐれなかった)緊張は伝わってくるものであることを感じた。
 
 入室は、マニュアル通りなのだろうか?お礼して「失礼します!」である。隣の女の子は「無理してるんとちゃう?」と思うくらいの大声で 出していたのにはびっくりしてしまった。僕は、キャディー、そしてお茶をやっていることもあり、深々とそしてしっかりした声で「失礼いた します」と言ったつもりだが、どう受け止められたのやら。

 お題は「携帯電話について」であった。討論は、受験者側で勧められていくが、みんなよく似た答えをつらつらつなげていくだけで、これ が討論対策法なのかな?と思ってしまった。流れ的には学校教育と携帯電話で考えたときにマナーなどの点で「負」の部分が突出してしまっ た。私の発言は「確かに携帯は新しい道具であるが、(学校に持ち込むことを)むやみに取り締まるルールに生徒を守らせるのではなく、なぜ そういったルールが出来たのかと言うことをきちんと説明すればいいのではないのか?」といったり、「電車の中での携帯電話についてはマ ナーがなっていない人はいるだろうが、それは携帯電話に限ったことではなく、公の倫理の欠如が生み出しているのでは?」
とシンガポールの地下鉄の表示板の例を出しながら討論したりした。

 他の受験者は、「朝日新聞で読んだが、(何新聞でも良いのでは?大学受験じゃあるまいし)心臓ペースメーカーの人たちが危ないという らしい」などといった言葉や、「出会い系サイトに手を染めることは悪い(短絡的過ぎやろ??)」などと言った議論が主流を占めていた。

 その後、面接官より質問があり、「あなたは携帯を生徒が学校に持ってくることに対して賛成ですか?」と言った質問や、「もしあなたが 赴任した学校に携帯電話禁止の校則があった場合、そしてあなたのクラスの生徒がその校則を破った場合どうするか?」と言ったような質問 だった。

 8人が受験者だったが、1人が絶対持ってきてはならない。としてその理由として「私の家庭は経済的に苦しく、お金の有り難みを知って るから、小さい頃から豪奢物に触れさせるのは良くない」という奨学金の面接で使えそうな回答だった。これにはどうか?と思い思わず面接官 の顔を見てしまったが少し眼が笑っていたように感じた。
 私は携帯を持ち込んでも良い方の意見として出した。授業の中で携帯電話を使われる(メール送信など)のはかなわないので、そういった最 低限のルールは伝えた上で、生徒と教員でなぜ携帯電話がここまで普及したのか?学校に持ってくることに必要性があるのか?と言うことを考 えた上でルールを作っていけばいいのでは?と発言した。

 校則の項では時間が無く、話すことが出来なかったが、僕としては、その校則が出来た経緯を聞いた上で、校則を犯した生徒にその成り立 ちを聞かせると言うことをしたいと発言したかった。(アカウンタビリティーが1にも2にもこれから大切だと思うから)この意見は是非とも 言いたかったのに打ち切られてしまった。

 面接はこれにて終了してみんな非常に丁重な挨拶で帰っていて、帰りはさっと一人一人試験の感想をのべるでもなく、帰っていってしまっ た。お友達になろうと名刺を持ってきていた僕は、そのハングリーさに驚嘆して、まるで平和ボケした国民のようだった。

 面接の内容について今考えると、あまりにも携帯の負の部分に偏りすぎていたと思う。もっともっと、正の部分を僕の口からアピールすれ ば良かったと、帰り一人で立ち寄ったスタバで「Tall ラズベリーモカフラペチーノ」を飲みながら思った。

 正の部分については情報量の多さであり(インターネット接続、世界がうらやむ i-modeの成功)、一人一人が図書館を持つようだ!これを授業で導入すれば、IT立国日本の基盤の一つとなりうるのでは?(実際日本 のインターネット使用人口のいくらかは携帯のみだろう)と発言すると面白かったのではないかなとも思ってしまった。まぁその時考えられる かが勝負だと思うが。

 この一週間は筆答試験への準備最終段階であるが、論文試験で新しい視点をもって、説得力のある文章で攻めていこうと思う。
ここのヒロノリ日記が良い練習台である。

梅雨明けと満身力込めて言ふ(7/16朝日俳壇、稲畑汀子選)
顔の汗歩調に合はせ流れたる
白服で埋めつくさるる試験かな


7/8/2001

「ものを買うこと」

 僕は、今「社会学人類学実習」なる講義実習のティーチングアシスタントを担当させて貰っている。
 実習内容としては、インタビュースキルを身につけさせたり、実際インタビューしてきた内容を発表すると言ったモノで、1回生対象の講義 としては誠に酷な講義なのかも知れない。

 しかし一回生だけに、やっぱりやる気があり、非常に良い発表が出た。僕が担当した班はほとんどが本当に良いプレゼンテーションをした と思う。恐るべし一回生!(笑)

 特につい最近気になっていたこととの解法になったのが、「モノを売る魅力」と言う題で出された、インタビューで、とあるブランドの販 売員にインタビューしたものであったが、この考察がなかなか良かった。
「もちろんブランドの持つイメージなども魅力なのだが、やはり販売員が親身になって服を選んでくれることで買ってしまう」とまとめていた からである。うーんと僕は唸ってしまった。
 なにやら石門心学にまで続いていきそうな良い論考である。

 今、商品価格のデフレが続いている。服飾は本当に「いいものが安くなった」し、パソコンも技術革新、低価格のおかげでずいぶん安いモ ノが手に入る。僕の後輩とかでどの機種が良いですか?と聞きに来ることがあるが、今のパソコンは「普通に使う」限りにおいてはどの機種で も大丈夫!とアドバイスしている(笑)それでいて、本当に安い。
 つい最近もうちの市内で家電の量販店がオープンし、格安のスキャナーを買った。開店セールと言うこともあり、人ずらーっと並んでいた が、こんなに安くしても本当に大丈夫なのだろうか?と思うくらいの大盤振る舞いである。元々東海ベースで展開する企業名だけに、あのとき は、「名古屋の結婚式」みたいな意味合いがあったのかも知れないが。安い、そしてモノは良いから人は来る、非常に込んでいる。
「薄利多売」は石門心学。旧神戸商大(今の神大)出た、某スーパーのオーナーも言ってたなぁ。(笑)
 
 しかし片方で、「安かろう、悪かろう」の店は右肩下がりである。本当にびっくりするくらい人がいなくてびっくりしてしまった。
 ある店からなぜか誕生祝いで金券を頂いたので、Yシャツなどを求めたのだが、また店員も愛想が無く、何で来たのか?と言った面もちで客 である私を見るのである。金券を渡すと「はぁ?」みたいな顔でこちらを見てくるし。(それまで多く買ってたから金券が送られてくるのでは ないのか?)金券を渡したからかってくれるだろうではなくて、問題は来ていただいた客とどう言った関係を築いていけばいいのか?であるハ ズなのに・・・本当にびっくりしてしまった。(そらアレではアカンわなぁ。)

 本当にレポートに言ってた様に「人で買う」のである。価格が安いのは言うことに越したことはないが、「あの人がいるから、ああいう感 じのいい人が多いから」買っている。安い酒屋が出来たって、宅配してくれる対面商売の酒屋が潰れにくい原因が見て取れるし、そういうよう にお客思いの店は残っていくだろう。僕は高校の時「今の人は対面商売が苦手だから、それがないスーパーへと流れている」と習ったが、これ からのデフレ社会を生き残って行くには、お客と信頼関係を築けるかにかかってくると思う。
 
 そういえば、昨日、僕が、車を購入したディーラー中古車屋でイベントがあって、「スイカ一玉」プレゼントしてるし、無料点検やってるの で来ていただけないか?と電話が家にかかってきた。そこで来店すると私は、別に車を買う気はないのだが、非常に親切な対応をしていただい て、それはそれはうれしかった。今は買わないが、今度買うときは是非この店で買おうという気になる。少し高くても保証は1年はついている し、2年3年と付けることも出来るという。本当に凄い店だし、何よりもそこにいる人が良いと思う。

 「ものを買うこと」には信頼関係が必要である。ただ価格を安くするだけではいけないと思う。その点、ソートレイクシティーオリンピッ クの
日本選手のユニフォームを作る予定のあのメーカーはうまくしていると思う。総じて店員の質が高いと私は感じる。
 ただ安いだけであそこまでの地位を築いたのではないと私は思う。

 「人と人がいるから商売が成り立つ」
この基本を守ったに過ぎないからだろう。

 僕も教員を目指して今試験勉強などをやっていこうと心掛けているが(歯切れ悪・・・)教員業も対面商売だと思う。もちろん「人生の訓 導者」だろうが、どちらにしても上で感じる信頼関係を作っていくことは大切だと思う。どの世界も一緒なんやろうなぁ。
 「後に尾をひく」教育をやってみたい。今でも関係が続いている先生方とお会いするたびにそう思ってしまう。

 頑張らないとね。

大声を張り上げて夏空にファァー
店に入り人の笑顔に涼を得る
助手席に鎮座まします西瓜かな


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