7/27/2001
「蝉と空蝉に分かれる瞬間」

 昨日、学校からの帰り道、駅前の延命地蔵にいつものようにお祈りし(ほぼ日課となってますなぁ。)橋を渡ろうとした際に彼はいた。 (実際には彼女だったのだが)

 蝉の幼虫である。僕はそれまで、蝉の抜け殻や死体と化した幼虫は見たことがあり、また抜け殻を集めたりしたことはあるが「生きてい る」蝉の幼虫を捕まえたのは初めてであった。
 
 成虫の蝉にするように背中をつまむと皮が抜け殻のそれではなく柔らかいのである。まるで脱皮したての海老をつかむようである。羽根はな いが、始終足を動かしているところなどは、成虫に似ているなぁと思ってしまった。
 家までそこから大体3分くらいの距離であったが成虫になる瞬間が見られるかも知れないと思い、背中をそっとつかんで家に持って帰ったの である。家の庭にベンジャミンがあるのだがそこの根元に置いてどうなるかを観察してみた。習性なのだろうか?ただ根元に置いただけである のに、すぐに木を探し当て登っていったのである。それもものすごいスピードで登っていく。数年間埋まっていたパワーをここぞとばかり爆発 させている感じで「生の勢い」が見ているこちらまでひしひしと感じられた。

 やがて脱皮するのに適当な場所を探し当てたのだろう。枝と枝が重なり合った場所のあたりで動きが鈍くなりなにやらもぞもぞし出した。 背中に神経を集中しているみたいである。「バリッ」と言う音とともに少し裂け、序々体が出てきだしたのである。

 時間がかかる。テレビで一回見たのだが、やはり早送りだったのかと今になって気付く。しかし「殻を破る瞬間」の幼虫の必死の姿は時の 経つのさえ忘れてしまった。結局インターネットなどをやりながら、2時頃まで眺めていた。

 出たとき、羽根は小さい。比率的にはまるで天使の羽根くらいである。それがゆっくりとしかし確実に伸びてくる。寝る前には羽根は普通 にいる蝉のそれと同じくらいの長さになっていた。しかし羽根の色は白い。それも時が経るにつれ次第に縁が青緑になってゆき、羽根全体もク リーム色になってくるのが分かった。生命の不可思議を身をもって学ぶ瞬間であった。

 次の日の遅い朝、起きてみるとそこには立派な茶羽根の雌のアブラゼミがいた。最後の華を咲かせるため、そして僕を待っていたかのよう に飛び立っていった。

 実はその前日、道ばたにいた、一匹の瀕死のクマゼミをお地蔵さんの前に往生するようにと預けた。そして昨日の蝉の幼虫である。クマゼ ミとアブラゼミで種類は違うが因縁めいたものが介在するのではと感じてならなかった。

 一つの生が無くなり、一つの生が最後の華を咲かせに、地上にやってくる。そしてそれらを見ている僕がいる。

一つの大きな流れ、命の流れがそこには脈々と流れている。
 

背中割れ華と咲きたる蝉一つ
一刹那蝉と空蝉分かちたる



9/10/2001
「大人の学級会」

 その前の日記から1ヶ月超が過ぎてしまった、非常に過ぎ去る速度の速い夏であった。自分のやる気の無さを弁護するようで非常に格好が 悪いが。やる気はあるが、モノを産み出すときのモチベーションは非常に高くないと出来ない。つい最近、同じ学校で小学校からの友人と話し ていてやたらと共感していた話題である。お互いがんばらなあかんな。まぁ、やるからにはやりまっせ。好きなことやし。

 「大学院ってなに?どんなとこ?」と聞いてくる人には僕はミュージシャンと照らし合わせて次のような説明をしている。

「学部は色々なバンドに触れたりして自分で曲をコピーしたりする時期、まぁ卒論が路上デビューみたいな感じかな?大学院の修士課程は、 コピーとか自作をぼつぼつ路上ライブする時期、インディーズデビューしたりするのもいる感じとちゃう?博士課程までなるとマジでミュージ シャンになろうとする感じ、この時期には自分のウリは何か?って分かってるし、メジャーデビューになって出すように論文を学会の雑誌に 載ったり、コンサート開いてお金得るように奨学金に当たったり、研究費がついたりする。それで才能が認められたり、評価されたりして、一 流のミュージシャンのように有名になったり良くも悪くも新聞で書かれたりする。論文が曲と同じとちゃうかな?」

 ミュージシャンに照らし合わせて説明したが、漫才師だってそうだし、画家だって、料理人だって、だれだってプロになるためには必要な 過程がある。時期と自分の年齢を考えたとき、もうあまり後戻りの出来ない時期に来ているだろう。選ぶ職業の幅も狭まってきているだろう、 まぁ根が楽天的なので、なるようになると思って、色々な面での修養は欠かせないようにしているつもりだが・・・
 単作農業よりも色々なモノ育てる農業をしてます。別にポリシーと言ったようなモノはないが、タイの農家の人がいう「一つのもの(作物) を育てるのは畑に良くない」と言う言葉通り、「広く深く」掘り進めたいです。体力の続くうちは。(笑)
 教員は今年は駄目だったけれども、来年は通るくらいの勢いで頑張っていきたいと思う。まぁ自己分析するが遅かったと言われればしょうが ないが。(汗)その分、色々なことが見る事が出来たと思う。

 道は多く存在するし、終着駅も歩く旅人の数あるのだから、自分の納得のいく足跡を残していきたい。

 小学校以来の友人との話を書いたが、今日NHKのBSで「stand by me」を観た。もちろんよく観る「ベタな」映画だが、初めて観たのは小学校の6年生の時である。それも3月の辺りではなかっただろうか?私学受験した人間 にとっては非常に忙しかった時期である。

 兵庫県の私学中学の試験は平成2年度は3月1日に一斉に始ま留システムで併願が出来なかった。滑り止めで京都の2次や大阪、岡山へと 受ける人が多く、知り合いもそういった進学校へと進んだ子もいた。実際、某大手進学塾は、3学期を休ませてうちの姉妹校(日本no.1進 学校)を受験させようと目論んだが、N校は受験生の小学校の出席日数をみて、判定したために多くの「受験」勉強が出来る奴が落ちてしまっ た。キレル奴がいたり、ハチマキまいて受験する奴がいたり、受験する学校に向けての内申書を書いて貰うと手のひらを返したように態度の変 わる奴がいたり、なにかと人生の縮図を観たような初めての体験であったように思う。
2日前に自宅近くの居酒屋で小学校の同窓が集まりささやかな飲み会をしていたのであるが、「受験組」の間ではこの時期はやっぱり忘れられ ない時期であるみたいで、話に花が咲いてしまう。

 自分自身何かジェットコースターに乗っていたかのような精神的な高揚感のあった時期だった。非常に楽しかった時期であったと記憶して いるが・・・テストが快感と言うか、独特の高揚感が味わえるのは、他に少ないと思う。僕の場合テストはプレッシャーではなくてある種の快 感であるというのは小学校の時の塾通いの成果だろうか?(笑)

 話がそれてしまったが、「stand by me」はその入学試験の結果が出るかでないかの時期に見始めたのではないだろうか?「見始めた」というのも担任の先生が、教室で時間を区切り区切り見せて いたからである。多分学級会の時間を使ってやっていたのだろうか?余り記憶にないし、シーンが断片的であるのも試験やらなにやらで休むこ とが多かったからではないだろうか?

 完全に観たのは今日が初めてであった。そして今みて分かるそこに描かれているメッセージ、そしてセリフが胸に響いた。なんて反応の遅 い児童だろう(笑)先生の意図が今となって分かるとは・・・ちょうど小学校から中学への分かれ目をうまく描いた作品である。特に最後の シーンは、4人の友人がそれぞれの家に帰っていくところだがそれがこれからの人生を暗示させるメッセージとなり、その後に来る「友人とは そんなものだ」と言うセリフがずしっとこたえる。それぞれの人生があり、それぞれの道を歩むと言った感じのメッセージがさっと込められて いる。

 うちの小学校のクラス6年4組38人で3分の1を越える人数が私学受験した、10名ほどが私学へ行くこととなり、1人は福岡へ他も中 学校の地域から半分半分へとなってしまった。つまりクラスが3分される事となってしまったのである。それまで一緒の机を並べている者、ま してや6年同じだった級友だと非常につらい思いで一杯だったであろう。僕は流れ者だったが、それでもつらかったのだから。
だからこそあのフィルムだったのだろう。

 そしてあのときから12年経った。ちょうどあのとき生きたのと同じだけ生きたことになる。小学校の同窓で集まってというのは、高校く らいからやっているが、来ない顔ぶれもあるので今どうなっているのか分からない人もいる。それぞれは自分の禄をはむのが現実のものとなっ て動き始めたばっかりで、今は非常に忙しいだろう。学生やってる人間は少なくなった。みんなどうしてるのだろうか?

 前の飲み会で「学級会やりたいなぁ」や「フランスパンってただねじってあるパンやん!」「黒パンて今の生活で見かけへんなぁ(笑)」 とか非常に懐かしい話題で一杯になった。懐古主義は早すぎる年齢だろう。しかし、出来ることなら38人(+先生)ビシッとあつめて 「stand by me」なぞ観たいなぁ。それをネタに語り明かせればいいのになぁ。

 「大人の絵本」ならぬ「大人の学級会」っていかがでしょうか?(爆)
でも、家出るときに「今から大人の学級会行って来ます!」とかいうと
やばいなぁ。響きが・・・素直に「同窓会」がいいんでしょうなぁ。(汗)

 中高の同窓会とかもやってみたいが・・・同窓会願望ってこうくるんやなぁ。(笑)
身をもって感じる今日この頃。

乱舞する二百十日のティーショット
蝉の声英語と一緒に響きたる
天満まで秋刀魚の寿司を追ひ求め
居並びて所望したるや秋の寿司
秋めきて小学校の通学路


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