9番「法輪寺」での「お接待」
四国に来るまで何かの本かガイドブックで「四国では、(お接待)という慣わしがあり、地元の人が、遍路に、ものやお金をあげたりする。」と 言うことを読んだことがあったが、まさか今の時代には、もう無いだろうと思いが正直な所あったのだが、ここの茶店とでも言うのだろうか、焼き 芋を作っている女の人に僕は、初めて、「鳴門金時」と呼ばれる、「めっちゃうま い!!」焼き芋を頂いた。それとシソで巻いたお餅、ヨモギ餅などたくさん・・・本当においしかったし、腹も満腹になったが、とてもうれしかっ た。
このお接待という制度何も四国だけで限ったことでないらしく、瀬戸内海側の島々の巡拝の道でもあるという事を聞いた。しかしこれが、廃れ てきているという事もある意味事実らしい。つまり「歩き遍路」の数が、昔に比べて、激減した点。これは、交通機関の発達から、しょうがないこ とかもしれない。世代が変わり、人も変わる。この中で未だ存続している「お接待」はすごいと言うこともできる。
ここで本当にお世話となり感謝しなければならない、私が経験したお接待をあげていきたい。
1.高知で出会った、おばあさん
あれは確か、日和佐を出て、徳島と高知との県境をを抜け、ひたすら、室戸岬の、24番札所に向かっている途中であったと思う。私は、この行 程(23から24)に丸二日かかったが、確かその2日目の朝だっただろうか、歩いているとおばあさんが出てきて、「あんたちょっと食べてい き。」みたいなこといわれ、わざわざ家に通され、コーヒーと、ジャム付きトーストをごちそうになった。それまで朝から晩まで、「純和食」であった、ご 飯の中、良いアクセントとなり嬉しかった。
2.海部のあたりで出会ったおもちゃ屋さん
僕は、この「旅」のまた違った楽しみとして、古いおもちゃを探してみようとも思っていた、それで、徳島でも高知でも古そうなおもちゃ売って そうなところがあると時間が少しあるようなら、店にはいったりしていた。ここの高知との県境の町は、けっこう栄えているところでありあんまり 希望薄?であったのだが、そこの店長の奥さんが本当に人の良い人で、何かおも ちゃのことなど、白装束着ている僕に、いろいろと教えていただき本当に嬉しい限りであったのだが、そのほかにも、コーヒーや、チョコレートそ して、ケーキ!!などまでいただいて最後にポンカンまでいただいてしまった。このあたりは、ポンカンが、産地らしく、高知県にはい ると無人売店が、たくさん軒を並べていて、産直で売っていらっしゃるおばさんなどにまた、たくさんいただいた。本当にこの柑橘類のお接待に は、のどが自然と渇いてしまったとき役に立った。四国の柑橘類、人々にほんと感謝感謝です!!
3.お金までもいただく
お接待として、お金をいただくときもあった。本当に物ではなく「現金」という 形であるためやっぱり戸惑ってしまうときがあったが、やっぱり嬉しいと言えば嬉しかった。
おばあさんが、「私はもうお遍路とかできひんからまわって下さい」といって 渡されるとき、阪神大震災で僕の家がやられたと僕が、いって、話して別れた人が、わざわざトラックで引き返して、「兄ちゃんほんまがんばり や!!」といただいたお金、足摺岬で出会った、納経帳(確かにお経を受け取りま したと寺が認める印を押す手帳)が本当に判だらけで真っ赤になった人からいただいた、「お接待」。 数えだしたらきりがない。僕一人の遍路のためみんなが、支えていただいているようでほんとに申し訳ない気持ちが半面、絶対88番の大窪寺までいったる!!とやる気の出る起爆剤にもなっていったことは、確か である。
4.今治市内59番札所で出会った、タオル販売店の若夫 婦
もう僕が今治ぐらいまで来ると自分のペースみたいな物が分かってきて、だいたい一日40から50キロぐらいと目標が付けられるようになった のだが、その日も終わりに近づいた、4時頃僕は、59番の札所にたどり着いたわけであるが、そこの札所の前にあるタオル販売所にいた、若夫婦 は、本当に「いい人であった」はじめ、山門にはいるときに、若主人が、「このタオルお接待で す。」と僕に渡され「御納経されたあとよっていって下さい。」 といわれたので、その言葉に甘え、(茶店とはじめ思っていた)よってみるとそこは、タオルの問屋みたいであった。そこで、いろいろと話しをし ていて、(ほとんどが、僕のよもやま話クラブのこと、学校のことなどETC....)久しぶり張りつめた物をときほぐしてくれる「何か」があった。最近(というかちょっと前か・・)EQというの重要性みたいなことを、 さかんに言われているが、本当にここの若夫婦は、「人間らしさ」みたいな物を十二分に備えていらっしゃる方であったと思う。本当にまたの機会 絶対訪れたいスポットである。(店の名は、五九楽館、本当に良い所 です!)
5.高知は、須崎市で出会った、「司旅館」の夫婦
あれは、3月12日、前日に高知市内で出会った、Wさんと別れ、「龍」と呼ばれる「青竜寺」を一人で参り、そして、横浪三里と呼ばれる道を 一人歩いていた。あの日は、横風が結構強く、「車」のお接待をしましょうと言った人が、何人も現れてきた(ほんとに感謝感謝)のだが、僕は、 あえて自分の足で歩くことに固執し、ずんずんと歩いていたのであるが、僕の持っている地図(遍路道保存協会発行)の縮尺が、ページを変えるこ とによって、変わってしまい、走行距離が示されているものの、気分的に後すぐや!!と言う感覚が、出来てしまったみたいであった。その後に苦 労することになるのだが・・・
そう須崎までの道のりは、結構長く、行こうと思っていた民宿は、シーズンオフらしくしまっていて、真っ暗になりながら、「ちょっと恐いん とちゃうん!?!」と思いながらとぼとぼ、たんぼ道を歩いていた。やっと見えてきた民宿は、「司旅館」真っ暗になって、たどり着いた。
夫婦は、白装束の遍路スーツに結構びっくりされていたが、「ようここまできた!」 とおっしゃり、中へ迎え入れて下さったのである。実際、暖房のお接待(コイン式の暖房だったため)をして下さり、明日のためのお弁当。そして 風邪をひかないためにビタミンCということで、伊予柑を下さった。
食堂には、ショーケンこと萩原健一の写真が飾ってあったが、彼はこの旅館のテーブルで、遍路ってこんなに大変なんだぁ・・・と号泣したそ うだ。
他にも楠木正成の話などして下さって、一夜限りではあるが、家族のように接して下さった。�.
本当は店をたたもうと思っていらっしゃるらしいが、「まだお遍路さんがいる!」 ということで頑張っていらっしゃる。本当にいい人たちであった。
6.足摺近くで何度もあった、青年
多分僕とそんなに歳は変わらないと思う。土佐清水の辺りを歩いていたときであったが、白いライトバンが、僕の姿を認めるといきなりバックし てきた「何か俺の知り合いか?」
とおもっていると中にいたお兄ちゃんが、「全部歩いてるんか?俺は、31番で、お大師様に あったんや!」と言って「頑張れ!!」と何回も言ってくだ さった。その後ずっと歩いていると、対向車線から、同じ兄さんが、向かってきて「俺、中村で仕 事があったんやけどいまその戻りやねん、これ買ってきたから食べたらいいわ」と僕に色々な食べ物をわざわざいただいた。た だ歩いているだけで何でこんなにもしてくれるんだろう?本当に俺はすごいことをしているんだろうか・・・俺ってなんやねん?などと色々考えさ せられたし、僕とあまり変わらない歳でああいったことの出来る兄さんがやたら大きく見えたのは言うまでもない。また次の日にも、偶然そのお兄 ちゃんに、(それも朝6:30)あったのだが、またお接待をしていただいた。(あったかーい缶コーヒー)本当にお世話になりました!!
そのほかにも僕は、本当に色々なところで、お接待をされ、色々な教えを聞くことが出来、
本当に四国では、「お大師様信仰が生きている」と改めて感じました。