北進北進!パンムンジョム(板門店)ツアーリポート
少し暑い朝だったように思う。上田氏と私は昨日の飲み過ぎで、少し頭が痛い。外
国のそれも他人様の家で本当に騒ぎすぎました。
あぁほんまに恥ずかしい(汗)それはともかく、家に泊めていただいたヒージェーも、お姉さんも
スーヨンも僕らが騒ぎすぎたのがおかしかったのか、
朝起きたとき、けらけら笑う。
「ヒロ!昨日、顔が赤くなりすぎ
て赤ちゃんみたいやったよ(笑)」
なんかそういえば髪の毛くくられて遊んでいたような覚えがあるなぁ。(現像してこの写真でてき
たぁ^^;)
「ワタルもお酒強いけど、でも昨
日はいきなりペース落ちたね」
あんたらお酒強すぎ!ホンマに・・・ってか飲ますのうますぎ!?
そして、お父上等とご飯を頂く。
「ヒージェーから聞いたけど昨日
はえらい騒いでいたようヤナ?」
背中には冷や汗が幾筋も流れてる・・・(汗)
「でもみんな楽しんでたみたいで
良かった良かった。」
そういってフォローしていただいたのでほっとした。
お母さまの手作りの朝ご飯。朝から本当に有り難うございます。
「チャルモゴッソヨ!」と言うと喜んでいただいた。
ご飯を食べたらお父さんがご出勤されるので玄関までいって
見送る。やっぱりオヤジって偉いんやなぁ。もちろんタダ偉そうにしてるだけやなくて
中身も尊敬できる人何だとは思うが。こんな人になりたいなぁ。うーん・・・
ホテル新羅に・・・ヒージェー達ともここで
お別れである。と言うのも、一昨日、ホテル新羅に赴き「板門店ツアー」に申し込んだからである。
韓国に行く前の段階で上田と二人で韓国で行きたい場所としてまず第一に挙げたのがこの板門店
だったのだ。
分断の歴史を実際の身をもって体験するという狙いがあった。この場所が産まれた原因を知るこ
とは、韓国という国を理解する事につながると思ったからである。このツアーは外国人だけのツアーで、日本からの場合、日本の代理店経由で
申し込む場合が多いみたいなのだが、
僕たちは直接アタックを試みたわけである。(ハイシーズンだととれないことも多いらしい。)
そして3日後にすんなりと行くことが出来たというわけである。
ホテル新羅まではタクシーで行くこととなった(うだうだして遅刻しそうだったので)朝
ちょっと過ぎだったのでタクシーが捕まりにくかったが、
ヒージェー達が捕まえてくれそこでヒージェー、スーヨンとはお別れとなった。
もっと、お礼とか言いたかったのに非常にばたばたとしてしまったのが悔やまれる。
今度行くときはたっぷりお礼いたしますので・・・はい。(^^)
ホテル新羅は迎賓館にも使われるところでもちろん5ムグンファ(5ツ星)!そこの免税店で
の受付だった。
荷物をホテル新羅のクロークに預け、免税店に向かう。
免税店の珈琲をタダ飲みし(笑)待っていると、受付に来てくださいとのことである。
他の人たちは団体の受付でツアーコンダクターが、全員分チェックをするが、私たち2名は、個人
受付ですますこととなる。
しかし受付の女の人が、私たちのことを覚えてくれてたみたいで、にこっとして、集合時間などを
教えてくれた。
少し張りつめてた心が楽になる。タダでさえ緊張するところに行くのだから。
バスに乗って一路、イムジンカク(臨津閣)に
ソウル市郊外には、多くの巨大団地が建ち並んでいる。何でも盧泰愚政権時代に住宅難解消のため
建てられた
らしい。住宅難のために自殺した人も多かったとガイドさんは話す。
それを過ぎて国境付近(結構近いのには驚かされる。)近くの高速道路になると交通量も激減
し、
心なしかバスの空気も変わってきた。ガイドは朝鮮戦争の話をして日本軍人もいくらか関わった
(掃海など)話などを交えながら
朝鮮戦争の悲惨さ家族を引き裂かれた人のつらさを語っていた。
イムジンカクでは、朝鮮戦争で使われた兵器、戦車などを展示しており、北朝鮮の物品なども販
売していた。
ここで一番印象に残ったのは、蒸気機関車の展示で英語とハングルで「鉄馬は走りたい」と書かれていた。
ソウルから北に向かう列車は「京義線」を走る。京は京城(植民地時代の「ソウル」)義は新義州
の「義」なのだから
本当は平壌も抜けて北の最北端まで行く線路だったわけである。
昔、日本では「新橋−倫敦」の切符があったそうで、まさしくこの線路を通ってシベリア鉄道へと接続したに違いない。
もしつながったら、「鉄馬」が走りたいように僕もその「鉄馬」にまたがって旅をしてみたい。い
つの頃になるのだろうか?
そして、ひっそりとはしていたが反共館もあった。いくらかビラ、パンフレットを貰ってきた
が、左派学生運動がどう言った害を
国家に対して及ぼしているのか?などを書いたモノが多かった。4コマ漫画入りなどもあってそれ
はそれで笑えたが。
「自由の橋」をわたり、DMZに入る・・・DMZとは非武装地帯のことで、とたんに原始時
代のような景観へと変わる。
50年近く人間の手が入っていない地域だからである。鬱蒼と草が生い茂っていて、その中をバスが通っていく。
そしてキャンプボニファスまでの間、様々な検問がある。GIが乗ってきて、我々の「国連軍ゲス
ト」のバッジを確認した。
もちろん儀礼的なモノだろうが、銃にはタマが詰められており、、サングラス越しに我々のバッジをチェックする様は、
乗客に緊張感を与えるに十分すぎる。
このDMZを通る間感じたのは、基地のグランドにせよ、軍服を着ていない兵隊の格好にせよ、建物にせよ、
アメリカらしいと何度も感じてしまった。土の色がもう少し赤ければ、まるで
ジョージアの僕の行ってた高校のグランド
みたいやなぁと、ジャンスポートのバッグをかついでバスを待つ非番の兵隊を見ながら感じた。
一応は国連軍なのだが・・・
キャンプボニファス、将校クラブでの昼食・・・なんとかキャンプにまで無事たどり着いた。
昼食+映画+ブリーフィングはここで行うらしい。
とりあえず昼食と言うことで将校クラブにはいる。ここでも徹底したアメリカンスタイルが
貫かれている。
バイキングスタイルでご飯を各自取っていくわけだが、これもアメリカの高校のようである。もちろん食器とかは良いものを使っているし
働いている人も韓国人が多いから違うと言えば違うわけであるが、やはり味付けなどはアメリカ人好みで味付けられている。
ただキムチがあったにはびっくりしたが、米兵もキムチを食べていた。
このグループはほとんどが日本人のグループだったが、1組のカップルだけニュージーランドからの参加だった。
そのために中央高速観光は、英語のガイドを付けていた。その人達に話を聞いてみるとやはり緊張しているとのこと。
予想はしていたが、ここまで緊迫した雰囲気でのツアーとは思ってもみなかったとのことである。
ブリーフィング・・・昼食がすむとおみやげ物屋をひやかしたり(余り冷やかすと場所が場所
だけに危ないけど・・・^^;)していたが、
移動が制限されているためにぶらぶらとおみやげ屋と将校クラブの間を行ったり来たりという感じだっただろうか?
少し遅れて映画を見た。こちらでも朝鮮戦争の歴史的映像などを使った映画だったが、ガイドがこの映画の後に試験をしますから
よく見といて下さいのことだったので、メモなどを取りながら見たような気がする。
しかし試験は、100人中100人が通るものだった。「事
変、事件の際はアメリカ合衆国及び大韓民国は安全を保証できません」
と言うことを了承すれば。戦々恐々で自らのサインをすると合格なのだが、命を投げ出す訳なのに、
サインするのが鉛筆であったのには驚いた。
なぜか自分の命が少し安くなった気がした。(笑)
会議場(少し顔がこわばっている)
帰らざる橋・・・そしてポプラ事件が起こった現場「帰らざる橋」へと向かう。ここも殺気漂う場所であった。
悠長にもみんな集めて記念写真などを撮ったが、(それも見知らぬ人ばかりが集
まって)そんなんしてられるのかが非常に心配であった。
ちなみに先ほどのニュージーランド人はこの写真に入らなかった。(入ったら買ったかも知れへんのに・・・多分かわへんけど)
ここからは、北の宣伝放送が聞こえるらしい。このときは流れていなかったが、大きなスローガンはこちらからみえた。
本当に橋を渡ったら北朝鮮なんです。宣伝文句を訳して貰ったりしたのだが、同じ言葉をしゃべる人たちが対峙するつらさがこのとき感じた。
彼らの言ってる宣伝文句が自分の使ってる言葉で、言われる。もちろん日系人とかが作った投稿ビラもそれなりの戦意喪失をはかっていただろう
が、
同じ言葉を日常的にしゃべる同士の戦いなのだから・・・・つらい。本当につらい。曇り空から雨が泣くかのように降り出しそうだった。
後ろは北朝鮮です。
帰りのバス・・・帰りは、タダもと来た道をソウルまで南下するだけであったが、最後にガイ
ドさんが「今日見ていただいたとおり、我々の祖国は、
悲しくも分断されております、道のりは厳しいですが統一は必ずやってきます。我々を応援してく
ださいますか?拍手で結構です。」とおっしゃられた。
目は、鋭く澄んでこちら一人一人を見渡していた。拍手せざるをえない雰囲気。もちろんみんな拍手をしたが、色々な音がしたような気がする。
参加したメンバーの思いも各自それぞれであろう。僕は非常に苦しい思いで一杯になったが。いたたまれないと言うか。
各自シートを深く埋めて、物思いに耽る状態で、夕闇が迫ったソウル近郊の空を眺めたり、友人としゃべったりしていた。しかし、この沈静を
冷ますかの如く、添乗員(男の人)が各シートにきて、先ほど撮った写真を売りつけにかかっていた。
僕からしたら何でアカの他人と一緒になって移ってる集合写真を買わないといけないんだという気分になる。もちろんここまで死線をさまよって
きた「
同志」かもしれないが、まだ僕はそこまでの気分になれなかったのと、今日の晩、
ホテルの部屋に届けると言うことだったが、僕らが泊まる宿は決まってなかったし、泊まっても多分それは写真を届ける宿ではないだろう。
と言うのも、初めに添乗員が「どちらにお泊まりですか?」ときいて、「たぶん、大元(テウォン)旅館に泊まる予定です。」と答えるとものすごい変な顔をされてしまって。「どこですか?ホテルじゃないんです か?」と逆に聞き返されてしまった。
と言うことで、死線をさまよったツアーの集合写真は手元にない。
もし頼んだ人があったら見ていたいものだ。結構まじめにひきつった顔して写ってると思う。(笑)
バスは、朝に出発した場所、ホテル新羅に定刻に到着した。それから、ふたりは、まずフロントに行き、明日、釜山に帰る電車の時刻を聞き
に、ホテル新羅のフロントに行く。出来れば今日行った板門店にかけて急行「トンイル(統一)号」
に乗って行きたかったのだが、トンイルだと朝の6時台になってしまうらしい。それでは、特急ムグンファだとどうなのかな?と思うと今度は値段
が高くなる。(今考えるとあんまり変わらないのだが。)それじゃあ、やっぱりバスで行こうか?ということになり、「やっぱり(運行間隔が短く料金の安い)バスで行きます。有り難うございます。」とフロン
トの女の人に伝えると、
「バスは危険です。運転手は飛ばすし、事故も多数起こっています。」とのこと、
せっかく決めた事なのに、覆すようなこというなよぉ。と半べそをかいた。しかし、結局、上田氏と僕は、明日の8時半にソウル高速バスターミナ
ルに待ち合わせると言うことにしたのである。ただ不運なことに釜山行きのバスのターミナルは2つある。それの為に次の日トラブルが起こってし
まったのである。(8
月19日参照)
上田氏とはとりあえず一日一人で旅がしたいと言うことだった。僕と一緒だと確かに息が詰まるようなところもあっただろう。
本当に俺に付き合って貰ってすまないと思うところもたくさんあった。ここで一時的な離別(イピョル)になってしまった。
再会が、まさか釜山になるとは思いもしなかったが。
別れた後、僕は、友人に会うと言うことで、待ち合わせ場所にしていた、ホテル新羅の免税店(受付のあったとこ)に急いだ。
そこにウォンミさん他、これまたワークショップでお世話になった人たちが集まっていた。みんな免税店の中の無料珈琲を飲みながら待っていた
なかなかちゃっかりしてるなぁと思ってしまったのだが。(笑)
それから僕をソウル見学につれてってくれるというので繰り出した場所がまたもやテハンノ。
それだけおしゃれな街なのだろう。BGMも
UPのパダが小気味よくかかる。本当に小気味良い!まず腹ごしらえをと言うことで行ったのが、慶州で食べた「チャジャライス」のあるレストラ
ン。
結構店舗数は多いみたいで、テグでも見かけたが。全国チェーンやったんやね。名前を覚えていないのが残念だが。
ここでは、4人とも石焼きビビンバを食べた。何度食べてもおいしいもんであ
る。(笑)僕が石焼きビビンバを頼むとみんなが同じモノを注文した
のにはびっくりしたが。(笑)
ご飯が終わると酒やろうと言うことで(もちろん体育会的な意味での「酒を飲む」
に限りなく近い)HOFへと場所を移動。会話は、
英語なのだが、どうしても人数が日本人1人、韓国人3人以上となってくるとキャッチボール的にもほとんどが韓国語となってきてしまう。
ここでやっとHAWKさんの言った意味が分かったのであった。確かに、意味が分からない言葉でしゃべられて飲む酒ほどおいしくないモノはな
い。
もちろん雰囲気はいいし、僕はお客として言ってるので何一つ過不足無いのだが、コミュニケーションできないつらさに陥ってしまうのである。
これ以降、僕は、違う言葉を話す人のいる席では出来る限りその人の分かる言葉で話そうと心掛けている。出来ていないことも多いが。
逐次英語に訳してくれるのだが訳すうちに言葉の持つ命が失われていき、それが場から引き離すことにもなると改めて思った。(留学の時
イヤと言うほど分かっているはずなのだが)その後少しだけでも韓国語を勉強しよ
うと思ったのもこのときの経験が大きい。
のんでのんで!のんでのんで!
彼らとはもちろんワークショップつながりであり、そこでの話が、主になった。ワークショップの中での恋愛ネタや消息の話など話にキリはな
かったが、何回も話の毎にイッキイッキとやるので非常にしんどくなってしまった(笑)
そして声の大きい僕のイッキコールがうるさいと隣の客からクレームが付くほど
騒いでしまった(笑)まぁそれだけ盛り上がったって事だと思うが。
その後、キチャンさんなど男性陣も駆けつけなんと北海道から電車を乗り継ぎ下関から北上した影山さんも一緒に酒の輪に加わりそれはそれは
大宴会となってしまった。キチャンさんとは、北海道にいるときに「ソウルに来たら飲みましょ
う!」とおっしゃられていただけに、その約束が非常に早く
果たされて、それはそれはうれしかった!
飲みの締めの段階になって、「宿はどこに泊まるの?」ときくので、ジョンノ
(鐘路)近くの安宿に泊まろうと思うのだがと言うとみなさん話された結果、
チャンホー先輩が、「是非ともうちに泊まって行きなさい」と言うではないか。
チャンホーさん一家は新婚ほやほやと言うことを知っていたので
初めは断っていたのだが、「いいからいいから」と言うことになり、泊まらせて頂くこととなった。本当に有り難うございます。
一同で写真を撮り、カンナムの団地行きのバスに乗る。なんと奥さんはまだこの時間、予備校で数学を教えているとのこと(結構な時間なの
に)
本当に行っていいのだろうか?非常に気になったが、おうちに泊めて貰った。玄関にあった生まれたちの息子さんのお写真を拝見する。息子は、
父母のところに預けて育てているという。非常にカワイイ息子さんのお写真だったように思う。
いきなりの来訪だったのに、チャンホーさん本当に有り難うございます。